日記

私はweb以前から、手書きによる日記も書いています。
「書きたくなったときに書きたいだけ書く」形式を取っている為、1年間以上書いていない時期もあります。
そして、日記とはいいながらも、その日に起こったことなどはほとんど記載せず、その日に考えたこと、思ったこと、物語のアイデア等等、本当に“書きたいこと”だけを書いています。
時にはイラストのみ描いていたり。


その時、最も重要なことを書いていないことが多々あります。
それは“日記に書くこともできない想い”です。
私は、他人が私の日記を読むことを悪いと思いません。
ただ、日記を読んだということを私に知られるような行為を行うことは、悪い、と認識します。
発見されなければよい、などと警察に見つかる見つからない問題のことを言っているわけではありません。(道徳的に悪いことを良しなどと言えるほど、優等生辞めたわけではありませんから)
私自身に人格を疑わせる行為をされたくない、ただそれだけです。
さて、焦点がずれましたね。
私が日記に書かないのは、記載した時点でその事象を自ら認めることになるのが嫌だからかもしれません。
例えば、誰かを愛し始めること、誰かを嫌うこと、自らを可愛そうに思うこと、自らを慰めること・・。
私の日記には、主語が殆どありません。
行為のみが記載されており、その行為を行った者が誰か、書かれていないことが多いのです。
私の記憶が残る限り、その部分を読んで思い出すことが出来ます。
全く覚えがないこともあります。
内容は悲しいことで、私は忘れてしまったのでしょう。


文字に残すことで、私は自らの声を、感情を昇華させます。
自らの声を嫌い、極力話したくない時期に思いついたこの行為は、現在まで続き、今は浮き立つ喜びの心を落ち着かせたり、沸き立つ怒りを静めたりと、目的は変わっています。
こんなことをしているから、今でも上手く話せないのかもしれませんね。