知り合いの日記に“引用かもしれない”と書かれていた文章が、以前、僕がこの日記に書いていた文章とあまりにも似ていたので
「あぁ、同じ考えの人もいるんだな」
と思っていたら、僕の日記の引用だそうです。


昨日は話をしていました。
呼ばれてすぐ、大体のところ話の予想は出来ていましたが、それが事実だと分かると複雑ですね。
話して、今、思うことは
・相手は優しい
・相手は勇気がある
・僕は変わらなければならない
ということ。
お互いに傷付け合っていたけれど、それは私の相手に対する態度が悪かったんだと、ずっと思っているのです。
相手は自分のせいだと考えていて、話す度に謝ってくれる。
本当は、どちらのせいでもないかもしれないし、両方のせいかもしれない。


僕はとても我儘で、頑固で、自分が正しいと思ったことは例え誰が相手でも譲りません。
その“正しい”という基準は酷く曖昧で、感情に流されやすくて、だから我儘というのですが。
信じる人が言った言葉は全て正しいと判断してしまうし、好きな人が言った言葉は間違っていると知っていても“正しい”と置き換えようとしてしまう。
本当は、何が正しくて何が間違っているか、自分の信じていることを信じきれていなくて、その責任を大好きな人たちに預けているだけなのかもしれません。


相手の言葉はとても優しく暖かくて、話に行ってよかった。
相手は自分に誓う為に僕と話したいと思っていたのかもしれない。
でも僕には、僕に「もう悩まなくていいから」と、そういう意味に感じられた。


僕は君を嫌いじゃない。
自分の心から捨てたりもできない。
君が原因で怒ったり泣いたりしても、それは意識しているから。
どうでもいい人なら、僕は自らの視界にも入れない。
今、思いつく言葉で言えるのは、そういうこと。