いとふとは 知らぬにあらず 知りながら 心にもあらぬ こゝろなりけり*1


言葉のみで心を伝えることは難しい。
相手の表情も見えず、暖かみも感じることも難しく、その言葉の詠み人を理解していなければ、正確に知ることもできない。
言葉のみで人間を感じることが出来るとは、到底思えない。
言葉には表と裏がある。
それは表情などにも存在するけれど、言葉の表裏はその言葉のみを見ている限り、気付くことはできないのではないだろうか?


「私は元気です」
例えば、こういう言葉がある。
こう書かれていたとしても、実際に元気かどうかは不明だ。
相手に心配をかけたくなかったり、自分を気にしてもらいたくなかったり、ただ挨拶として書いているだけ、ということもある。
また、こう書くことで逆に
「元気は元気だけど、相手が元気じゃないかもって心配してくれたらいいな」
などと裏の裏の意味で書かれることもある。
読み手が相手の心を理解するのには、まず相手を知らなければならない。


自身を理解していない人に対して言葉を理解してもらうことは、とても難しい。
私には現在進行形で、理解していただけない相手がいる。
それは私自身も相手を理解していないためだろうが。
相手を傷つける言葉は、私自身をより傷つける。
私はその痛みに耐えられず、自身の心の内を正直に言葉に代えることができない。
そのために、誤解は誤解のままで伝わり、結果として、相手から人間が感じられない(人間としての暖かみが感じられない)冷めた言葉を頂くこととなっている。

*1:詠み人:藤原長能。訳:貴方が私を嫌っていると知らぬわけでもない。知っていながらも自分で自分の心がどうにもならないのだ