恋の清算

曖昧になっていた人間関係を清算しました。
一言で言うと、振りました。


どうして人には恋だの愛だのという感情があるのでしょうね?
全くもって謎です。
この感情があるから嬉しくなったり悲しくなったり。
感情に振り回される自分が滑稽でなりません。


愛の告白において、それが失敗に終わった時、大抵、振られた人に同情したくなるのは何故でしょうか?
振られた人の方が苦しい思いをするからでしょうか?
悲しみが大きいからでしょうか?


場合によりけりですが、私は告白を拒絶する(振った)人へ同情したくなります。
拒絶するというのは辛いものです。
どう理由付けたところで、相手を傷つけたことには変わりないのですから。
他人の痛みは分かりません。
どれほど傷つけたか分からないからこそ、辛い。
相手を同情することさえ失礼な話。
けれど、振られる=悲しい、という構図くらい知っている。
気にしては悪いと思えば思うほど、考えてしまうのは何故?
考えたところで、出された結果に変化などないのに。


毎度、気にしないようにしようと思ってはいるのですが、やはり苦しいものですね。
特に今回は効き過ぎました。
相手の方には今回で3度目の告白を受けており、今回の拒絶で決定的に縁切りとなりそうです。
お互い「好き」合っているのに、その「好き」の形が違うだけで別れなければならない『恋愛感情』が辛い。